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ブログ更新の休止について

多忙につき、今週のブログ更新を休ませていただきました。

申し訳ありません。

狂犬死す

俳優・渡瀬恒彦が亡くなった。

若手時代はやくざ映画で、ベテランといわれるようになってからは刑事ドラマで知られる俳優だが、ケンカ最強という伝説でも知られていた。

この渡瀬恒彦ケンカ最強という伝説には、個人的にかなり説得力がある、と思っていた。

というのも渡瀬恒彦は若山富三郎萬屋錦之介亡き後、殺陣がもっともうまい俳優と言われていたからである。

殺陣のうまさは、単なる力の強さや体の大きさなどではなく、運動能力・身体能力や勘の良さがなければできない。近衛十四郎若山富三郎は殺陣もうまかったが、実

際のケンカも強かったといわれている。

よく安岡力也や宇梶剛志などが芸能界のケンカ最強の男として名前があがるが、190㎝近い身長で身体能力が高い日本人はまれであり(安岡力也はハーフだが)

日本人の場合もっとも身体能力が発揮できるのはせいぜい175㎝程度までだろう。(初代タイガーマスク佐山聡も171㎝程度)

そう考えると渡瀬恒彦の174㎝という身長はリアルな説得力がある、また実際に時代劇でみせる殺陣の素晴らしさは、渡瀬恒彦最強説をかなり信憑性のあるものにし

ている。

しかし、残念ながらやくざ映画や刑事ドラマで人気を得た渡瀬は時代劇に出演することが少なかった。

1970年代では、映画「赤穂城断絶」で千葉真一と、ドラマ「影同心」で室田日出男と迫力ある一騎打ちをみせているが(いずれも監督は深作欣二)、2000年代では

高嶋政伸主演の「十手人」というドラマの同心役ぐらいしか記憶がない。(渡瀬が殺陣を披露する場面は少なかったが、その少ない機会に見せる殺陣は見事だった。)

そして最強と言われた男もやはりガンには勝てなかった。

今は故人の冥福を祈るとともに、時代劇役者としての渡瀬恒彦を再評価する上でも、長くソフト化されていない「影同心」シリーズのDVD発売を強く望む。

(平成になってからも何度かつくられた「子連れ狼」なども、本来は渡瀬恒彦主演でリメイクされるべきだった、と密かに思っている。)

※権利関係のせいか、こちらも長くソフト化されていない「鉄砲玉の美学」もこの機会にDVD化できないだろうか。あの映画を観ないと松田優作主演「蘇える金狼」や石

井隆監督「GONIN」のラストが何故あのようなことになったか、若い世代はわからないのではないだろうか。

プロレス歴史観

柳澤健著作の「1984年のUWF」を読んだ。

改めて言うまでもなく、不朽の名作「1976年のアントニオ猪木」の作者によるUWF論であり、冒頭の中井祐樹の少年時代のエピソードから、最後はその中井のある言

葉で締める、という構成は心憎いばかりである。

しかし、この本には既にかなりの賛否両論がでており、個人的にも何人かの登場人物の描写にはやはり疑問を持った。

例えばジェラルド・ゴルドーの鬼畜ぶりやターザン山本銭ゲバぶりは、この本だけを読むと全く違う印象を持ってしまうかもしれない。

この本に書かれている事実は確かに真実かもしれないが、作者の「真実の編集」によって読者をミスリードするおそれがあるのでは、と感じたのである。

ただ、そういった描き方も、著者の確信犯的なものではないか、とも思う。

この本ではUWFを佐山聡を中心に描いており、これまでUWFの象徴とみなされていた前田日明には厳しい評価がされているのだが、これは司馬遼太郎新撰組を、

局長の近藤勇ではなく副長の土方歳三を中心に描いたようなもので、プロレス・格闘技に関して柳澤史観とでもいうべきものを提示したのではないだろうか。

そして著者の意図通り、今後UWFに関して書く時に、この本で打ち出された「UWFとは佐山聡である」という歴史観を無視できないのではないだろうか。

その意味でこの本は、読者一人一人にプロレス・格闘技の歴史認識を問う、リトマス試験紙あるいは踏み絵のような本なのかもしれない。

ブログ更新の休止について

体調不良のため、今週のブログ更新を休ませていただきます。

申し訳ありません。

100億借金、100億返済

高須克弥著「筋と義理を通せば人生はうまくいく」を読んだ。

高須克弥と言えば自らの病院のCMをTVで流したり、タレントのように自らがTVに出たり、スポンサーとしてスポーツチームに大金を提供したり、といった派手好きで陽

気な気のいいおじさんというイメージだった。最近では西原理恵子との交際で話題となっている。

しかし、この本を読むとTVなどのイメージと違い、極めて硬派な一面を持った人であることがわかる。

整形外科の道を選んだのも、まだ整形外科が日本で市民権を得ておらず、日陰の分野だった、というのが大きく、この分野だったら自分が第一人者になれるかもしれな

い、という信念のもとに始めたようである。

金銭に特に執着したことがない、というのも意外だった。(最近の気前のいいタニマチぶりは確かに金に執着があったらできないが)

週刊誌に叩かれ、国税によって脱税容疑に疑いで起訴された時でも、やましい所はないと最高裁まで争っている。

その後、バブルの崩壊で100億の借金を背負うが馬車馬のように働き、見事に完済している。

波乱万丈な半生で、何事があっても明るく前向きな姿勢をとり続けていた高須だが、前妻を癌で失い、同じ時期に母親と愛犬を相次いで亡くしたときは、半ば鬱状態

なっていた、ということもこの本で初めて知った。

その頃、高須と同じく前夫を癌で失った西原が、惹かれあったのは、確かに自然なことのように思う。

最近の高須の馬鹿馬鹿しいほど、積極的な、面白いことには何でも乗る、という姿勢は、この本で書かれていた「人生は意外に短い」という実感からなのだろう。

明るさの陰には深い悲しみがあったようだ。

未完の死

<訃報>谷口ジローさん69歳=漫画家「孤独のグルメ

毎日新聞 2/11(土) 23:28配信

<訃報>谷口ジローさん69歳=漫画家「孤独のグルメ」

 

漫画家の谷口ジローさん=東京都東村山市で2008年11月、丸山博撮影

 「『坊っちゃん』の時代」や「孤独のグルメ」などの作品で知られる漫画家の谷口ジロー(たにぐち・じろー、本名・谷口治郎=たにぐち・じろう)さんが11日、死去した。69歳。葬儀は家族のみで営む。

 

漫画家の谷口ジローが亡くなった。

亡くなったこと自体にも衝撃を受けたが、メディアにおける扱いの軽さにも同様の衝撃があった。

記憶している限りyahooニュースに記事が載ったものの、数多くのニュースの中に埋もれるまで半日とかからなかった。

黒澤明が亡くなった時、こんなあっさりとした扱いだっただろうか。手塚治虫の時はどうだっただろう。

例えば将来、宮崎駿北野武が亡くなったら、国民的あるいは世界的ニュースになっていたはずだ。

文字通り不世出な表現者であった漫画家・谷口ジローを喪うということは決して大袈裟ではなく日本文化の大きな損失である。

しかし、作品の価値に比べて谷口ジローの知名度は極めて控えめなままであった。

多くのメディアで代表作を「孤独のグルメ」としているのも、ファンの一人としては納得のいかないところがあった。

事件屋稼業」でコンビを組んだ関川夏央との共著「『坊ちゃん』の時代」は当然としても「遥かな町へ」や「犬を飼う」、最近映画化された「神々の山嶺」など、本来もっと

代表作にふさわしい作品があったはずだが、そうした作品名をあげているメディアはほとんどなかった。

作品の質の高さに比べて知名度やメディアの扱いが低く、また残念ながら若くして亡くなってしまった映画監督今敏を思い出さずにはいられなかった。

この人は、漫画界では大御所といえる地位だったにも関わらず、2000年代にはいってからの連載でも明らかに長期連載を前提として描かれながら、未完のままになっ

ている作品が少なくない。

漫画アクションに連載された「シートン~旅するナチュラリスト」も動物を描くとともにシートンの子供のころからの歩みを時系列にこだわらず描く、という意欲作だったが第4章

で止まったままである。

「冬の動物園」という作品もある。これは谷口ジローの自伝的作品で昭和40年代の世相や谷口から見た当時の漫画界の状況など、興味深く味わい深い作品だった

が、これも単行本1巻で止まったままだった。

こうした作品の続きが、いや谷口ジローの新しい作品が永遠に読めないという事実をまだ受け止めきれないでいる。

せめてフランス同様日本でも、谷口ジローという漫画家の評価がその実力にふさわしいものになることを祈るばかりである。

帽子をかぶって、殴られる

トランプ支持のキャップをかぶって登校した少年、集団暴力を受け停学処分

事の発端は、大統領選挙においてトランプ氏のトレードマークとなっていた“Make America Great Again”のロゴが入った真っ赤なキャップをギャヴィン君がかぶり、スクールバスに乗ったこと。周囲からは「お前、メキシコ国境にヘンな壁を作りたいのか!?」などというヤジが飛び、あっという間にそれが激化。彼らはギャヴィン君の体を小突く、窓に押し付ける、叩くなど暴力すら加え、録画した者があったことからその様子はインターネットにも流出した。

最初は公平な雰囲気であった学校側もギャヴィン君がトランプ支持派だと知ってか態度を一変させ、被害者であるはずのギャヴィン君に停学処分を言い渡した。これに対し、ギャヴィン君の母親が怒りとともにメディアに訴えた。こうしたことを受けてパークウェイ学区の教育委員会は騒動の真相を改めて調査し、6日には以下のような声明を発表した。

「スクールバスの中で暴力行為を繰り広げた3人の生徒は、校則に基づきすべて停学処分となりました。(停学)期間終了後は両者の関係の平和的修復を図るプロセスに入る予定です。この学校のすべての生徒、職員、ご家族が一丸となっていくためにも、政治的見解の相違に対する理解や互いへの敬意などを学ぶ機会としたいと考えております。」

出典:http://www.breitbart.com

 

いかにも現代の典型的なニュースのように思われた。

リベラル(事実上の左翼)はもはや、かつてのように言論で相手を説得するつもりはないようだ。彼らは近代という時代が始まった当時から(あるいはもっと前から)計画的かつ組織的であり、多くの局面で勝利する。それに対して保守的な人々(いわゆる草の根保守)は、ただ素朴な実感などで活動しており、ほとんど組織化されていないため(日本会議のような組織は世界的にもまれだろう)、個別の問題や局面では負け続けることが多い。

しかし昨今、リベラル=左翼は最終的には負けることが多い。皮肉にも彼らが金科玉条のよう語る民主主義つまり選挙によって敗北するようになったのである。

当初、宗教を克服する目的を持っていた左翼思想は、近代以降の最大の宗教になった感がある。中性の魔女狩りと同じく、左翼思想を批判する人間は悪魔なのだから、一方的にレッテルを貼り、いくらでも口を極めて罵倒する。もちろん暴力を振るうことにも迷いは無い。

言論で勝てなければ、もう暴力しかない。今後は世界的に左翼テロが増えるだろう。